アパートの住人

 

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アサヒビールには

ほろ苦い想いでがあります。

苦くありません。

飲んだ訳ではないため‥‥。

大学生の頃住んでいたアパートの住人に

他の大学の先輩がいました。

土木関係の社長の息子です。

広島出身で、

なかなか卒業できなくて5年生です。

お金持ちで、アルバイトなんかしません。

 

毎晩、酒を飲みます。

 

たまに、

「おい、ビールこうて来てくれえ!」

 

近くの酒屋で瓶ビールを買いに行かされます。

キリンビールがあればいいんですが、

キリンはよく欠品しています。

アサヒビール」を買って帰りました。

 

すると

「おい、お前ら、ひょっと飲んでみい!」

「こがな、薬くさいビールが飲めるか!」

 

薬臭いんだ。

 

後年に、

理由は新しく生まれ変わったアサヒビールの社長から

後日談として語られています。

社長は

どん底アサヒビール

住友銀行からの出向で

就任した

 樋口廣太郎さんです。

 

 

 

灘コロンビア

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八重洲のビアホールの店名は

灘コロンビア。

店主は新井徳司さん。

いまでは、伝説のビアホールとして語られています。

アサヒビールのビアホールでした。

当時、特約店制度で

キリンビールサッポロビールアサヒビールサントリービール

複数のメーカーを扱う

飲食店はありません。

 

スーパードライが発売した頃で、

スーパードライはないんですか?

と伺った記憶があります。

「あれは、ビアホールが扱う生ビールではないです。」

と店主。

 

数年後に同型のサーバーで生ビールを

注ぐ事になるまで、

その深い本当の意味を

まったく理解できませんでした。

 

 

 

 

 

八重洲のビアホール

ついに見つけ出した!

八重洲にあった。

東京に配属が決まり、

新幹線を降り、最初に支社の総務部を訪ねたのがここ八重洲だった。

もうひとつ個人経営のビアホールを発見した。

看板は店名が判読できないぐらいに剥げていた。

店に入ると、カウンターにはすでに常連のお客さんが座っていた。

カウンター越しにはボータイをしたマスターらしき人が懸命に

生ビールを注いでいる。

なんと、マスターも剥げていた!

私も注文をした。

カウンターの常連のなかには、大学教授、会社経営者などが多く

私の様な若造はひとりもいなかった。

常連のお客さんが勝手に説明して来る。

ビールは2口から3口くらいで飲みきること。

そうすると、ジョッキの内側に跡が付く‥‥

リングの数で何回で飲んだか判る。

 

その当時はじっくりと味わいたかった。

マスター、

何か生ビールがおいしくなるお勧めのおつまみはありますか?

 

特にありません!

??

おつまみはいらないくらい

うまい生ビールなんだよ!

と常連さんの解説が入る。

 

このあと、衝撃が走る。

この店はマスター以外の者はビールが注げないからな!

え!

他の人は注がないんですか?

 

マスター以外の者が注いだビールは不味くて飲めないんだよ!

‥‥‥。

先日のビアハレーモーンの件はそういう事か!

 

 

 

 

ビールの味

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義理の叔父が上京して来た。

先日、合格発表を確認しに行ってくれた御礼をしたい。

どこでもいい。

食事をしようということであった。

少々高くてもいい。

 

今思うとせっかく神戸から東京に来たんだから

日本橋の料理屋」または「銀座のレストラン」

 

よし、ビールだ!

チェーン店でなく個人経営の

地下の「ビアハーレ・モーン」だ!

それしかなかった。

 

早速。

この泡みて!

このビール飲んでみて!

泡は飲まんと、ビールだけ喉に流し込んで‥‥。

 

ほんまや!

○○君の言う通り‥うまいな!

 

私もグビグビ‥‥???

 

○○君、このビールドイツから輸入しとるんかな?

その辺は俺もわからんけど、当然そうなんちゃうかな。

 

???

いつもの様においしいんだが、

??

 

ちょっとだけ違う‥‥。

 

いつも注いでいる人がいなかっただけで、それ以外に

 

変わった事はなかった。

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表参道のオフィス

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 日本橋のオフィスはお気に入りだった。

きっと長屋の職人が砥石で、

かんざしの先端を磨いていたり、

近くには三味線屋があったり‥‥。

凍りつく様な寒い朝には同心が手に白い息を吹きかけていたに違いない。

この辺りは八丁堀と呼ばれていた。

親子丼の元祖の「玉ひで」などの料理屋も多く存在した。

表参道のオフィスはあまりにも広くて落ち着かなかった。

 

のは少しの間で、

渋谷も徒歩で行けるし、

地下にビアホールはあるし、

すぐにお気に入りのオフィスになった。

休日出勤の日は

地下のビアハーレ・モーンでランチの日もあった。

 

そんな或る日、

叔父から連絡があった。

都立大の合格発表を見に行ってくれへんか?

たぶん受かっても行かへんけど‥‥

いとこが受験したらしく、

課長に半日休暇をもらって、

都立大まで確認に行った。

この頃は休暇をもらうのにも理由が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

勤務先オフィスビルの地下

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日本橋から引っ越し 。

アナログの時代で、

まだ個人の机の上にひとり1台の端末がない時代でした。

 

総務から説明がありました。

今度のオフィスは今までの様に書類を置くスペースを確保していません。

今後は「ファイルボックス」を使います。

書類は共有とし、個々でコピーを持たない事とします。

さらに常時使用しない書類は、書庫に保管し、その都度業者に

出庫依頼をします。

 

引っ越しの日は

農村から都心に引っ越しをしたかの如くごたごたでした。

 

夜8時は過ぎていたと思いますが‥。

課長から電話が入りました。

「おい、うまいビール飲ませてやるから降りて来い!」

降りて来い??

このビルの地下だよ!

 

 

そこには、地下1階・2階と飲食店が広がっていました。

課長がたまたまチョイスした店は

なんとビアホール。

 

私の眼に飛び込んで来たのはキリンシティと同じ

「ワイングラスに注がれた黄金色のビール」

今度は「キリンビールのロゴのない無地のグラス」に泡がこんもり。

もう一度、

この当時「足つきのビールグラス」は大変に珍しかったのです。

 

「おしゃれなビアホール」

おいしいコーヒー開発の重要なカギを握っていた

私と「ビアハーレ・モーン」との出会いでした。

 

 

 

 

 

或る日、突然

勤務先が

日本橋だった頃は

確か証券会社のビルの7階でした。

 

その頃、大学の同級生が転勤で佐賀から上京して来て、

一緒に数か月

楽しくアフターファイブを過ごしました。

 

或る日突然、

佐賀にまた

帰る事になり、

最後の日耀は

やはり渋谷に出ました。

 

あ、そうだ。

俺も

事務所移転になるんだ。

確か渋谷だ!

 

日本橋の方がいいんだけどな‥‥。

 

住所わかっているから、

確認して見るわ。

ちょっとだけ

付き合って!

 

住所からすると、

ここだけど、

こんなでっかいビルのはずがないな‥‥

ちょっと入ってみるか!

 

新築のビルに入れる訳はない。

まさか、入れました‥。

 

まるで映画館のロビーに足を踏み入れた様。

 

これは間違いだ!

よそのビルだ。ははは‥。

会社の事務所じゃないよ!

出よう!

 

ビルを出て、振り返った瞬間‥‥

え、‥‥

 

新築のビルの

案内板に社名が刻印されていました。

 

 

 

 

 

すき焼き

食にまつわるエピソードを

つれづれなるままに

記しておりますが、

殆どすべてが

店舗運営に、

生かされていたと思います。

鶏のくだりは

実際に夜の生ビールのとともに提供する「焼き鳥」

コーヒーの焙煎?にも‥‥

 

 

本日の夕食は

「すき焼き」にしました。

 

スーパーマーケットを覗きますと、

なんと

飛騨牛が半額」これがいけなかった。

春菊・焼き豆腐‥‥

など購入。

そういえば、 

父親が「うちのすき焼きは邪道だ!」

 

牛肉に砂糖をかけて作るすき焼きなどありえない!

 

だって

こうやって作るって教えてもらったもん。

 

と母親

 

当時、田舎ではステーキは豚。

牛肉はすき焼きで‥‥。

が多かったと思います。

 

成人して

真実を知る事となりました。

 

テレビ番組て゛

「関東のすき焼き」

「関西のすき焼き」

 

母が食べさせてくれたすき焼きは

祖母から引き継がれたもので

「関西式のすき焼き」で「割り下を使わないすき焼き」だったのです。

 

本日のすき焼きは

折角購入したのにもかかわらず、

 

春菊を入れ忘れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うなぎがお好きな岸朝子先生

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その日の

また夕方に

ご来店頂きました。

 

コーヒーをお願いします。

 

先ほどのサインにあなたの名前を入れるのを忘れたので‥‥。

 

これから

うなぎを食べに行くとの事でした。

奥の席には

お客様。

岸朝子先生の横を

名古屋コーチン焼き」と「ピルスナービール」が通ります。

 

「あ、それ注ぎ方でなんとかのビール‥‥少し飲みたい!」

 

「グラスに注いだ泡こんもりのビール」をご提供すると、

 

もう、少しだけって言ったのに!

 

先生、こういうビールは喉に流すように飲まないと良さが判りません!

ティスティングですので、もちろん残して頂いて構いません。

 

こんなに飲めないわよ!

 

先生はワイン派だと思います。

あまり、おいしく感じられないと思います。

 

あら、そうかしら。ふふふ‥‥。

 

「ブラックコーヒー」をご提供。

 

本当においしいわ!

 

 

名古屋のうなぎのお話を伺いました。

その当時ですので、

「蓬莱軒」「いば昇」などの店名も話題のなかにございました。

 

少し談笑をして、

お勘定後、

岸朝子先生はうなぎ屋へ向かわれました。

 

断っておきますが、

私はB型ではありません。

 

 


 

料理自慢のおばあちゃん

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数年前ですが、

お通やか何かの席で、

母が何気なく

昔のエピソードを語りました。

母は長女です。

 

子供の頃、おばあちゃんが、

「かまどで炊いてくれた、ごはんが本当においしかった!」

 

それが、よう焦がすんだ。

 

「炊きたてのお焦げ」です。

底の焦げたところを夕飯前に

しゃもじに載せて食べさせてくれた。

「返って来ると、また、焦がしたって怒られるで早よう食べて!」

「見つかると怒られるで‥早よう食べて」

 

おばあちゃんが「返って来ると‥怒られる?」

 

10才ほど年の離れた母の実の弟と妹が、

「ねえちゃん、おばあちゃんって誰のこと‥」

 

何言っとるの?私の○○おばあちゃん。

 

「あばあちゃんを怒るのは誰?‥」

 

私の母親。

 

‥‥‥‥‥。

 

嫁の方が強い?

姑が気を使う?

 

昭和の戦後頃のエピソード??? 

 

 

そんな私の料理自慢のおばあちゃんが、

街で鶏のもも肉を買って来て

孫である私のために焼いてくれました。

 

 

 

 

夏のスイカ

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夏のスイカと言えば、

母の実家は農家だった。

最初の孫でもあり、

祖父・祖母ともに大変可愛がってもらった。

山頂近くの水源地から流れる水は、

夏でも

蛇口を捻ると

氷を入れたように冷たかった。

1度だけしか飲んだ事がない。

とても、おいしかった。

なのに、

残念な事に、

のどが渇くと、

冷たい清涼飲料・コーヒー牛乳などを飲んでいた。

黄色いキャップを被って学校に通っていた頃です。

当時、味のないものは口にしなかった。

現在はグルメ‥‥ですが。

嫌いな食べ物は一切ありません。

薄味も濃口も大丈夫です。

 

そのため、

「味のないスイカ」などはまったく理解できなかった。

祖母も祖父も悪い訳ではなく、

自身が未熟だった。

 

自宅でも大して食べなかったが、

よそに行くと余計にプレッッシャーで食べない。

3日でも4日でも‥‥、

 

外食は大丈夫!

店主や店員さんが「残さずに食べなさい!」

とは言わないからです。

 

今想えば、祖母は典型的なB型です。

私が生まれた頃だと思います。

料理自慢でもあり、

皆が、○○さんの作る料理はうまい‥‥。

近くの温泉旅館の板前さんの賄を作りに行っていたらしい。

なんちゃって関西弁で、

「ほんまかいな!!」

 

食べない私に、

料理自慢の祖母が言いました。

「ボクは、鶏の足の丸焼きが好きなんだってな‥‥お母さんから聞いた!」

「板さんにおいしい作り方教えてもらったで‥おばあちゃん焼いて食べさしちゃる!」

 

 

 

 

 

 

朝礼

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家庭用製品の事業部への配属が叶った、

毎日、朝礼があった。

新入社員でも当番がまわって来る。

 

日本経済新聞日刊工業新聞日経産業新聞など

に掲載の関連記事、コーヒー生豆の相場の発表。

時事問題などに触れて「自身の感じた事」などの発表。

これが厄介!

 

ある先輩が

「みんな、直前に考えてるからあかんねん!」

「わしは、一か月前からネタを探してる!」

 

或る日の朝礼後、

「さっきのネタ、本か何かの引用やろ?」

 

「オリジナルですけど‥。」

 

「ほんまかいな!」

 

今日のはうまかったって事かな‥‥。

 

久米宏ニュースステーション

と製品の付加価値について話した。 

 

 

先日の朝、

集団登校に出くわした。

 

我々の頃は

男子児童は「黄色いキャップ」にダブルのブレザーと半ズボン。

女子児童は「黄色いハット」にダブルのブレザーと紺のスカート。

 

なんと、女子も男子も「ブルーのハット」を被っていた。

熱中症対策に関連があるのか?

 

いっそのこと

夏だけ「麦わら帽子」にしてみれば!

 

暑い夏、麦わら帽子を被って

昆虫採集に行った。

 

イカに塩をかけて‥‥食べた。

熱中症対策ではなかったが、すべて理にかなっていた。

 

今、新入社員なら

こんなことでも「朝礼のネタ」にする事であろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家庭用コーヒー

コーヒーの家庭用市場は、

依然、インスタントコーヒーが席巻しており、

同期入社のほぼ100パーセントは業務用市場に関心を持っていました。

 

関東支社エリアに配属になった私は

当然のように業務用市場の支店での研修開始となりました。

 

依然、業務用市場には関心がなかった私は、

研修中に暴挙に出ました。

直接、新入社員が管轄の総務人事の課長に

研修後には、家庭製品の事業部への配属をして欲しいと申告をしたのです。

しかし、業務製品の事業部で3年ほど勤務をしないと

家庭製品の事業部への配属はないと伝えられました。

 

同期からも、

「事務所、どんな所にあるか知っとうか?」

「まるで倉庫やぞ!」

「よう、そんなとこ希望するわ!」

 

いわゆる出世とかにはまったく興味がありませんでした。

私には時間がなかったのです。

30代くらいには

レギュラーコーヒーが家庭用市場で

「ダントツのシェアを獲得するいう壮大な夢」がありました。

それを自慢したかったのです!

 

奇跡が起きました!

この年には新入社員の家庭用製品の事業部への配属があったのです。

 

 

渋谷のキリンビール

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いや、

当日だったかもしれません。

そうです!

当日です!

 

その話は少し、横におきまして‥‥。

横に置いたことを忘れない様にしないと‥・。

 

そんな友人の励ましもあって、

就任した東京の街。

 

「私の記憶が確かなら‥」それは、

最初の休日。

 

「なんちゃって関西人」の私は、

たまたま東急沿線で

暮らす事となり、

最寄駅の「渋谷」へ出かけました。

 

なぜか渋谷。

なぜか埼玉。

「ファッションの109ビル」もない頃、

道元坂辺りだった記憶。

 

突然、眼に飛び込んで来たのは、

「泡ふわふわの生ビール」

ワイングラスに注がれています。

 

しかも「キリンビールのブランド」

 

ガラス越しに‥ 。

 

この情景、現在の感覚では、

何が珍らしいの ??

当時は、生ビールと言えばジョッキでした!

 

キリンビール

 

珍しくないでしょ??

これは、また横道になりますが‥‥。

 

キリンビールは、

当時、寡占状態。

ラガービール一色。

これは、ビール市場全体でですよ。

 

味の印象は

ぐっと、重く、がつんと苦く‥‥。

 

早速、店内へ‥‥。

 

そのワインのようなグラスに注がれた「麒麟の生ビール」は、

 

喉に流し込んでみると、

 

なんと‥‥驚き

苦味は軽く、

「うまみが苦味の前面にある」といった感じ。

 

「まるで魔法の様‥‥」

 

「苦味を注ぎの技でうまみに‥‥」

って言いますか、

この時点では

まだ苦味がうまみにかわっている理由が

「注ぎ方の技」である事を判っていません。

 

今や、当たり前の事ですが。

 

「麦酒職人」

洋菓子職人・鮨職人・コーヒー職人などにまったく、興味がなかった私を

ぐっと引き寄せたのは「ビール注ぎ職人」。

「ガラスウインドー越しの生ビール」

 

次の休日、

わざわざご同行して頂いた同期入社の数人に対して、

「渋谷のビール」で東京のすごいを見つけたぞ、知ってるぞ

と自慢を致しました。

 

高価なため、もちろん「ひとり一杯ずつです」

 

 

なぜだか、自身でも判りません。

「麦酒職人」だったのか。

「うまみのビール」の入り口から入らなければ、

「うまみのコーヒー」の発見はなかった事はまぎれもない事実でございます。

 

まだ全国展開する前で

 

産声を上げてまもなくの

東京に2店舗ほどあったうちの、

渋谷1号店の

キリンシティ‥でございます。

 

 

 

 

 

都会への配属

f:id:coffeenotetsujin:20200827144514j:plain日本万国博が大阪吹田で1970で年に開催。

1980年代の関西。

これを言えば、

「東京」と聞いて弾まない心を少しは想像して頂けるかな?‥‥

 

東京に赴任の通知があり「暗い雲が立ち始めた」ところに、

突然

台風が発生!!

 

え、東京!!

○○くん、すごいやん!! 良かったやん。

東京って、青山には「ブルックスブラザースの本店」もあんねんで‥

 

ほんまに東京‥‥

トラッドの本場や‥‥

 

明石家さんま」のように興奮すると唾も飛ぶ

涎もたれる。良かっな! ○○くん。

 

この台風のおかげで、私にまわりにあった黒雲は一気に消えてなくなりました。

 

この男、この地域で生まれた生粋の関西人。

大学も同じではない。

 

深夜にローソンで楽勝のアルバイトを始めて少し‥おそらく数日経った頃。

ひとりのアルバイトが入って来ました。

こちらから、話しかけても‥

 

返事が今一つ。

 

今、思うと私の「なんちゃって関西弁」がひっかかってかもしれません。

 

アルバイト勤務後、一緒に帰りました。

 

或る日、突然アパートに訪ねて来てくれました。